2019年5月1日に天皇陛下の代替わりが行われ、前天皇は上皇となりました。

実は令和時代の上皇と、かつての上皇とは意味合いが違います。

その辺りについて、まとめてみました。

かつての上皇の位置づけとは?

日本史上、645年~1817年の間に上皇は59名存在したと言われています。

1817年に第119代光格天皇が上皇になって以来約200年間の間、日本には上皇がいませんでした。

それが2019年5月に代替わりが行われ、上皇が誕生したと言うことになります。

過去の上皇と言えば、白河上皇(平清盛の父親という噂もある)、崇徳上皇(怨霊になったと言われている)、後白河上皇(源頼朝と源義経を対立させた)などが有名ですよね。

彼らは「元天皇」で当時の天皇に変わって政治を行える上皇でした。

過去59名の上皇には、政治に関わらなかった上皇もいますが、上皇は「太上天皇(だいじょうてんのう)」の略で、天皇の代わり・もしくは天皇と共に政治を行う力を持っていました。

上皇になった人物の中には、出家し「法皇」になった人物もいますが、上皇と法皇の違いは「仏門に入ったかいないか」です。

「上皇=院政」のイメージが強い

白河上皇(法皇)と言うと、院政を始めた人物として有名ですが、崇徳上皇・後白河上皇は、白河上皇のひ孫にあたります。

崇徳上皇と後白河上皇は兄弟で、保元の乱で争っています。

敗れた崇徳上皇は讃岐(香川県)に流罪になり、罪人として扱われたことから、怨霊になったとも言われています。

その後、後白河上皇(法皇)が院政を敷き、源頼朝との政治的な駆け引きも知られています。

後白河上皇は存命中には、鎌倉幕府の設立を認めなかったとも言われていますが、近年の研究での鎌倉幕府の設立は、1192年ではなく1185年説(守護・地頭の設立を源頼朝が後白河上皇に認めさせた)が有力になってきています。

院政は後鳥羽上皇が承久の乱に失敗したことから衰えてきますが、実は江戸時代まで院政は行われていました。

令和時代の上皇とは?

引用元:ハフポスト

明治天皇・大正天皇・昭和天皇は「一世一元の制(即位から亡くなるまで一つの元号を使用すること)」が原則とされ、当然のことながら天皇の退位はありませんでした。

しかし、2019年の代替わりは特例で一度限りの臨時法で定められたもので、上皇については「退位した天皇を上皇とする」と規定されています。

つまり、過去の「上皇=太上天皇」という意味ではないのです。

これは太上天皇の意味合いにしてしまうと、天皇と同じ権威者がもう一人誕生することになり、二重権威になるのを防いだとも言えます。

極端な話、「太上天皇の上皇」がいると、天皇の国事行為に上皇が反対することも可能なわけです。

国家元首が2人存在するというのは、海外の首脳から色々と面倒だと思われますよね。

上皇后は新しい称号

引用元:朝日新聞

代替わりに合わせて、前皇后の美智子妃も上皇の配偶者として「上皇后(じょうこうごう)」となりました。

この称号は、日本史上存在したことはありません。

例えば、昭和天皇が崩御した際、配偶者の香淳皇后(こうじゅんこうごう)は「皇太后(こうたいごう)」と称されていました。

皇太后は割と知られていますが、「太皇太后(たいこうたいごう)」という称号もありました。

日本史で言う太皇太后は、先々代前の前)の皇后と言えばいいですかね。

皇太后が、先代前の)皇后というイメージです。

皇太后だと未亡人のイメージが強いため 、有識者会議で新たに「上皇后」という称号を作ったとされています。

敬称はどうなるの?

引用元:日本経済新聞

皇族には「さま」がつけられることが多いですが、天皇・皇后の敬称は「陛下」ですので、天皇陛下・皇后陛下が正しい呼び方です。

また、上皇・上皇后の敬称も「陛下」となりますので、上皇陛下・上皇后陛下が正しいです。

しかし、マスコミだと天皇だけを陛下として、皇后・上皇・上皇后には「さま」と敬称することが多いです。

これは法律的には正しくはないのですが、国民に皇室への親しみをもってもらうという点では正しいかもしれません。

以上、ここまでお付き合いありがとうございました。